Interview

世界文化遺産や重要文化財、歴史的建造物を長く後世に残す、木材劣化診断と保全技術 ――株式会社グランドライン 早川悟

text by : 編集部
photo   : 編集部,株式会社グランドライン

世界中に点在する歴史的な木造建築による文化遺産。これらは建造物自体の価値や状態から通常の清掃方法では磨くことが出来ず、放置すれば劣化し朽ち果ててしまう。
そして汚れの種類は土やほこりだけでなく、生物の繁殖によっても引き起こされるという。
独自開発した技術を武器に国内の文化財保全を担い、企業や産学連携によって世界中にその技術とノウハウを広めようとしている、グランドライン社の早川さんにお話を伺いました。

早川悟 株式会社グランドライン 代表
店舗やオフィスビルの清掃を行う会社設立後、独学でエアー鉋やカビ除去の方法を編み出し、京都を中心に文化財再生施工を行う。2007年に株式会社グランドラインを創業し、代表に就任。
建物全般の日常清掃事業のほか、世界文化遺産や重要文化財、歴史的建造物など多くの社寺、仏閣の再生施工、保全を行う。

■汚れを落とすだけでなく、「寿命を伸ばす」ための再生施工技術


――まず、グランドライン社の再生施工技術について教えてください。

文化財や世界遺産などの社寺、仏閣、古民家の必要な箇所を診断・調査し、洗浄や塗膜剥離、錆び落とし、素地調整を施し、その後の劣化や腐食を防ぐために長期保存処理を行っています。

例えば、お寺の駒札が劣化で黒ずみ文字が見えづらい場合、このまま放置しておくと劣化が進みやがて文字は消えてしまいます。このような場合には、文字を残したまま劣化した部分だけを取り除き、美観を整え文字がしっかり読めるようにします。こうして、構造物がもつ本来の機能回復を図り、加えて長期保存処理をして新設による大出費を回避させる、といったものです。

元々湿式の伝統的工法として灰汁洗いという、アルカリ剤や酸性剤、漂白剤を調合し、竹で作られたササラという道具を用いて汚れを落とす湿式工法もあります。ところが、汚れだけを落としたいのに周辺も変色したり、腐食が酷い場合には濡らすことができず対処できないケースがあります。

また乾式の伝統的工法として槌や小刀で劣化した塗膜を少しずつ削ぐ“かき落とし”という工法もあるのですが、細工物や複雑な形状のものは時間がかかります。それで、工期短縮が図れず限られた予算内にという問題もあり厳しい場合があります。

私たちは、そういった現場での厳しい経験を元に空気で素早くカンナ掛け(素地調整や塗膜剥離)ができる乾式工法の「エアー鉋」という装置を開発しました。また、頑固な旧塗膜剥離(合成樹脂、丹塗)専用に
1.素地を傷めない
2.人体・環境にも安全
3.工期短縮
を目的とした湿式剥離工法などを日々研究開発しています。

――こうした「文化財の再生」には業者がいるのですか?

ビルや施設の清掃、メンテナンスと違い重要文化財に対応できる会社さんはほとんどいません。

私も昔はそうでしたが、理由は汚れや劣化の原因、状態が分からない上に、失敗できないという高いリスクもあるからです。

一口に「汚れや劣化」と言っても、土汚れもあれば腐朽菌やシロアリなど「生物劣化」もあり、またカビとキノコ類では劣化が全く異なります。

外部の雨水による汚れなら撥水コーティングなどの処理で済みますが、生物由来の場合は「今後繁殖しないようにする」長期保存処理が必要です。
私たちは、事前視察の段階でこの汚れの原因を把握し、その後の適切な処理を行っています。

古くからこうした仕事は「修復士」として専門技術の資格を持った方々が担ってきました。
しかし、古くからある技術のため近年では後継者不足となり、実績のない企業に依頼する文化も無いため、年々専門家が減っているそうです。

彫刻の分野では修復ではなく「再彫刻」といって新しく彫りなおすこともあります。
しかし彫り直しで対処すれば「100年前に彫られたオリジナルの彫刻はもう1つも無い」という状態になってしまう。
そこでグランドライン社はあくまで「寿命を伸ばして残す」ことに拘っています。

文字がはがれてしまわないよう、木材表面の風化した部分だけを取り除く繊細な施工
(8年前に施工:高台寺 圓徳院様 シルク印刷文字・ウレタンクリア塗装仕様の駒札)

■京都、高野山、アジア各国・・・世界中にある文化財


――京都の指定文化財など、過去に携わった実績がウェブサイト上にありますが、よくある依頼のケースはどういったものがありますか?

一例として「複雑な構造をしたもの」のケースがあります。
歴史的文化財の中には、細部まで彫刻を施したり複雑な形状をしたものが多く、従来の洗浄工法ではどうしても作業にムラが出やすいため、その後再塗装をすると密着不良が起こり短期間で剥離し易くなります。

私たちの場合、一例ですが特許を取得したエアー鉋工法で「表面をほんの数ミクロンだけ」鉋掛けして劣化層を限界まで取り除き、長期保存処理するという方法で長持ちさせています。

――やはり徹底して鉋掛けすると全然違う

全然違いますね。
以前、再生施工を行った高野山のご住職からは定期的にご連絡を頂きます。
「あの後、1年経っても2年経ってもまだ綺麗なんや!ぜひ見においで!」と(笑)

私たちは、新しい工法だけでなく昔からある伝統的な道具を用いての工法も大切にしていますのであらゆる工法で対応ができます。生物の調査も含めて汚れの種類を特定できますので、その点は信頼してもらえるポイントかもしれません。

――同じように劣化していても、理由が違うことを理解している点は大きそうですね。

はい、今後は劣化診断と技術をもっと確立して、活躍できるメンバーを全国的に増やす予定です。生物由来での建造物劣化はあまり知られていませんが、阪神・淡路大震災で倒壊した建物でも生物由来の劣化有無による違いがあります。こうした情報の啓蒙活動も不可欠だと思っています。

――海外にも多くの歴史的文化財がありますが

確かに、海外からのニーズも多いです。
以前アジアのある国の建設業者が集まる場所でお話する機会があったのですが、その時も多くの企業から「すぐ導入したい」とお声がけを頂きました。

いまは日本の企業で、海外に現地法人のある会社を通じ、アジア各国の世界文化遺産・歴史的建造物を守っていく活動を一緒に広げようと動いています。

――やはり日本との違いがあるのでしょうか?

アジア圏は比較的に木造建造物が多く、気候的には高温多湿で腐朽菌(キノコ類)やシロアリが繁殖しやすい環境にあり、これらの原因で生物劣化の被害にあうケースが多いです。

あと湿度の違いによって木にシロアリやキノコ類などが多く胞子を出し、腐らせようという働きも活発になります。これは建造物全体の強度を低下させ、地震時に半壊程度で済むはずの建物を全壊させる要因にもなります。


■独学から実績を重ね法人化、大学の支援を受けるようになるまで


――早川さんは、元々伝統工法による再生施工のお仕事をされていたのですか?

いえ、全く違います。元々ビルメンテナンスとして清掃会社を営んでいました。文化財保全の弟子入り経験も無ければ、家業でもなく、元々探求心が強いせいか独学で乾式工法や湿式工法を研究開発しています。

将来的には国の文化遺産を保全するような仕事に携われ、この時代に生まれた新しい技術がこの先の伝統工法になればいいな、と考えていました。

――その場合、先ほどの「実績のない企業に文化財保全の依頼は来ない」状況でどうはじめられたのですか?

ご指摘の通り、最初は色々なところに話をしても「実績が無い」点がネックとなっていました。

営業活動の中で駒札を管理している関係者の方とお話する機会がありました。内容は、「実は駒札が劣化して文字が消えて困っています。定期的に新設しているのですが早川さんの技術なら新設よりも安価で綺麗にできますか?」という声を聞きました。

そこで「もし失敗したら弁償しますので、わたしに任せてください」とお願いし、一部試験施工をしたうえで本施工をさせていただきました。
そうやって徐々に小さな問題を解決し、実績を積み重ね、施工後の経過を見ていただき、その成果を資料にまとめ、次の方に実績としてご案内すると徐々に認められていった形です。

――その時点でグランドライン社は創業されていたのでしょうか?

いえ、創業前です。その当時、起業はあまり考えていませんでした。
自分は経営者というより職人で研究者肌でしたし、化学メーカー勤務などではなく独学でしたし。
ただ、周りの方から「実績を積んできたのでそろそろ法人化して、早川さんの技術をしっかり広めるべきでは?」とアドバイスされるようになり、そこで法人化を決意しました。

現在入居している立命館大学のインキュベーション施設も、地元の商工会議所の方から紹介頂きました。僕の研究を知っていた方が「研究を深めるなら立命館大学の中に入れば?」と。

――凄いですね、独学で探求していたところから法人化して大学の研究施設にまで入って。

大学の施設に入居したことで意外なメリットもありました。
商談の際に無名の会社が出した名刺と、そこに「立命館大学」と書かれているか、は全く印象が変わります。営業時の信頼獲得においては、とても大きな変化でした。たいへん感謝しております。

檀家からの収入が減る中、多くの寺社も保全・修繕に掛かるコストは重くのしかかる。
施行後の寿命が伸びる点は、こうした定期コストにおいてもメリットが多い。

■■ 作り直すだけでなく、寿命を伸ばすことで、建造物そのものを後世に残せる


――今後事業拡大の方向性はどうお考えですか?

自社に蓄積したノウハウ、技術を広げて専門家を増やす活動をグループ企業と共同で展開する予定です。

エアー鉋や独自に開発した洗浄剤・機材などのハード面、
それらを使いこなすための技術や劣化を解析する事前調査の手法などのソフト面。

私たちはこれらを総称して「常若(とこわか)施工」と呼んでいます。木造建築物を「常に若々しく」との想いで、劣化診断・施工方法・保存処理でワンセットとし、現状維持や綺麗にしたうえで寿命も伸ばす施工方法です。

そのために取組んでいる事は、生物由来の劣化に関する知識、現場に足を運び劣化原因を見極める目の養い方、それに合う工法の選択、関連資格の取得、木材・石材・金属それぞれの長期保存処理をどう行うかなどです。
現在7社ですが、これからも同志としての企業を募り、この技術を普及させようとしている段階です。

――確かに後世に残すためには清掃や修繕だけでなく寿命が延ばす観点が重要ですね。

はい、「古くなったら建て替える」「彫刻なら彫り直す」というやり方もあります。
もちろん優れた彫刻師の技術が継承される事も重要ですが、「建造物そのものを後世まで残したい」という考えもあるはずです。
必要に応じて「作り直し」と「寿命を伸ばす」この2つが選択できるほうがいい。

一度、アジアのある国で建物全体が歪んだ建造物を見て驚いたことがあります。
その国では主に人の目に触れる箇所や意匠性のある彫刻物などが朽ちてきたら新しくしたり、補修することは繰り返しされていましたが、建物全体の重量を支える土台や床束が一部生物被害を受けて腐食していることにはほとんど無知でした。

普段見えない部分の生物による部材劣化が建物全体の強度に関わるという認識が低いく、専門的な知識も無いため、朽ちる前の早期発見や状態に応じての適切な処理が誰もできない。
この事実を見て、人の命にも係わることから広める必要があると思いました。

――少し古くて歪んでいても、それも長年の歴史による「風合い」だと思っちゃいそうですね。

まさに、日本でも苔が生えていたり少し汚れていると「侘び寂びがあっていいね」と言うじゃないですか。これは大きな勘違いです。

この雰囲気がいいね、と言っている内に朽ち果てるまで放置され建造物自体が倒壊してしまう。

古ぼけて侘び寂びや風合いが出ることと、
生物が繁殖して腐って朽ちていく事は、全く違う。

私たちなら、構造体の生物劣化部分を見極めて、侘び寂びを損なわず、その後の劣化も長期で抑えることができます。
その建造物を見た時、世界中に正しい処置方法を広げて、「作る文化と守る文化の両方」を増やし文化を繋いく企業としての役割を果たさなければと強く思いました。

その建造物があった近くでは、母親が小さな子供を背中に背負いながら彫刻をされていました。
彼女が作った彫刻が朽ち、また新しく彫刻する技術の継承はありましたが、歴史あるものをその当時のままの状態で長く守る技術の継承はそこにはありませんでした。

守って残す技術とノウハウを輸出すれば、現地に新しい雇用も生めると思います。
それを日本から発信出来、世界文化に貢献できれば嬉しいですね。

グランドライン社では、自社開発した清掃用品をOEMメーカーとして企業へ提供している
当初、他社製品で期待する効果を得られなかったので、自社で開発したことが事業の始まり。