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【挑戦する中小企業_福島県双葉郡】震災を乗り越え、ふるさとから世界へ、未来を切り拓く --株式会社ふたば 遠藤秀文

text by : 編集部
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忘れもしない東日本大震災。震災と同時に本社を失った福島県双葉郡富岡町。
未曽有の大震災から10年。復興が進んだとはいえ双葉郡富岡町は被災地域として、まだまだ課題が山積している。
これから新たに変貌を遂げる地域として無限の可能性を秘めており、魅力的なまちづくりに向け、着実に復興の歩みを重ねている。

震災と同時に失った本社、双葉郡富岡町で再起を図った理由。
そして「株式会社ふたば」が創造する地域復興とはいかなるものか、代表の遠藤様に話を伺いました。


代々受け継がれてきた「安心」をこの地域で


「株式会社ふたば」は双葉測量設計株式会社として、1971年に県庁(農林水産)の職員であった私の父が創業しました。2021年で創立50年となります。

創業当時、測量は県庁などの役所が行っておりました。
農林水産の役所で勤務していた父が測量と土木設計の技術を培っていたため、故郷の発展の想いと、測量業務が役所から民間に移行するタイミングもあり、設立に至りました。
社名の由来はふるさとである、福島県双葉郡から来ています。

私が「株式会社ふたば」に入社したのは2007年(平成19年) です。
入社する前は、大学卒業後は大手総合建設コンサルタント「日本工営株式会社」で、海外の建設コンサルタントとして従事し、様々な国の海岸、沿岸、港湾、空港などの企画から計画、調査、設計管理にいたるコンサルティングを行なってきました。

ふたばに入社した理由は、大学時代から、35歳には故郷に戻り、恩返ししたいと決心していたためです。故郷(双葉郡富岡町)に戻り、会社の経営と実務の両面の傍ら、プロジェクトファインディング(現場で実際に見て、企画して仕事を取っていく)を推進してきました。

海沿いである断崖絶壁の急斜面や禁止区域など、ドローンでしか分からない発見も

人々が自然に戻ってこられる懐かしくも新しいまちづくりをしていく


震災から10年が経過。
当時の自宅は、竣工して5ヶ月後に震災が起こり、津波で自宅が流され、震災翌日には故郷を離れることになりました。

当時、震災により町は大混乱になり、自身を含め、社員全員が町外へ避難しました。
震災から約1週間後、ようやく創業者である父と連絡が取れ、会社をどうするかの話がありました。
父の「ふたばは地域密着であり、地域目線は変わらない。ここから地域社会をどう元気にしていくか。」という言葉により、私は「会社は双葉郡富岡町に育ててもらった。故郷に恩返しをしたい。」という想いを抱き、その1週間後に富岡町に戻りました。

震災前から社員が半数以上入れ替わりましたが、第二創業期的と捉え、現在では郡山支社を新たに設け、福島の中心部と沿岸部である富岡町の本社との二地域に事業拠点を置き、機動力の高い事業を推進しています。

もう一度、故郷のにぎわいを取り戻すのは並大抵の事ではないと思っています。
ただこの地域のにぎわいを取り戻すことはチャレンジングであり、世界では例がないと思います。
ここを乗り越えたら個人としても会社としても、社員全員の成長もできると確信しています。
富岡町は、技術的な面から人間力を学べる場でもありますので、そういった意味でバランスのいいフィールドだと思っています。

どん底から這い上がる経験は非常に大きいものです。どん底を味わっているからこそ、些細なことでは動じず、失敗を恐れない勇気、向上心など、逆境から得られたものもあります。その経験が山積する地域課題に向き合うための柔軟な対応を可能にしたと考えております。
今後も私自身、この町で経験した事を人材育成にも取り入れたいと考えております。
そして1人でも多く、私と同じような思いを感じてくれた人財が富岡町に来てほしいですし、富岡町から輩出されてほしいと思っています。

現在、双葉郡には震災前の住人が1割しか戻ってきていません。
「9割の人がどのような生活しているのか。避難先でどんな気持ちなのか、ふるさとをどう思っているのか。被災地から避難してきたと近所に言えず肩見の狭い思いをして生活しているのではないか。」と感じています。

「双葉郡や富岡町は中途半端だ」と言われ、引っ掛かりのある人生を過ごすことをさせたくありません。福島第一原発もそうです。福島と名がついており、この復興が中途半端になってしまうと福島全体が中途半端に見られてしまうと考えています。
以前の住民にとって胸を張って「ふるさと」と言える地域、今以上に魅力的な地域に故郷に戻りたいと思って貰えるよう、地域の価値を高めたいですし、その経験が日本全体の繁栄に繋がると思っています。

「手作業で地道に測る」という従来の測量方法を従来の方法からデジタルへ劇的に進化

後世に残す未来へのグランドデザイン


双葉測量設計時代は「測量」と「土木設計」の二本柱でした。震災後、地域には多様な問題が山積しています。復興をきっかけに、現在は事業の「多柱化」を図り、様々な試みをおこなっています。
現在は、建設コンサルティングおよび測量に加えて、空間情報コンサルティング(センシング、ICT技術を用いたデータの可視化)、まちづくりコンサルティング、環境コンサルティング、建設コンサルティング(海外)で、計六つの事業を展開しています。

日本では4,000社以上あると言われている建設コンサルタントの中で、当社の強みはこの地域とICT技術を用いた測量にあります。

本社のある富岡町は地震、津波、原発事故の多重災害を経験し、その地域の最前線に社屋を構え、それをICT技術で様々な課題を可視化させる。建設コンサルタントの中で原発被災地域に本社機能を持っている企業は他に類を見ません。世界から注目されている東日本大震災の課題を解決させるフィールドが当社にはあります。

また“新しい建設機器”とも称されるUAV/ドローンによる写真測量や3Dレーザー測量はまだ帰還困難区域が残る地域がある中、非常に良い効率性と実績を出しています。

UAV/ドローンによる写真測量では、大量に撮影した空中写真を、専用のソフトウェアに取り込み、地形の三次元点群データやオルソ画像(空中写真のひずみを補正し、位置情報を付与した画像)を、写真画像を元に作成しています。
このUAV/ドローンを用いた測量では、機械学習や画像処理技術なども駆使することで、これまで1週間を要していた作成を、わずか1日ほどの作業へ効率化できました。

また、地上やUAV/ ドローンで直接3次元点群データを取得する3Dレーザー測量では、1秒間に数千〜数十万発ものレーザー光を測定対象に照射することで、「面的」に点群データを計測し、短時間でより広範囲の測量を可能としました。

これらの技術を応用することで、切り立った険しい崖や禁止区域である災害現場調査や、生い茂った樹木内の森林調査など、これまで測量が困難だった区域での調査が可能となります。

課題を「可視化」することで現状を把握し、課題やその原因を発見し、迅速な対応、解決策を導きます。
まちづくりに関わる課題は、単に3D化だけでは十分な対策が考えられません。いかに社会の課題、森林、農業、環境などの課題の可視化まで実施できるか。
そして、地域の解決方法が他の地方、さらに海外の課題解決まで繋がり、後世にも正確なデータとして残す事が大切になってきます。

海外でのプロジェクトの事例としては、マチュピチュ遺跡の保全を目的とした文化財調査があります。
3D測量技術を評価いただき「UAV/ドローン技術」と「3Dレーザースキャナー測量技術」を活用し、空中から遺跡一帯、さらに遺跡を隠す森林も画像として取り込むことで全体像を導き出そうとするもので、これまでの経験や技術を惜しみなく投入して調査に当たる計画になります。

これまで当社の技術をお伝えしてきましたが、当社の強みは技術だけではありません。
「技能」いわゆる社員一人一人のスキルも強みの一つです。

コンサルタントとして重要なことは、プロジェクトを推進する上で、プロセスと住民の協力が絶対的に必要です。双葉郡富岡町では震災の影響で住民も避難し、ゼロから作る町でありました。この地域を俯瞰的に見て、どういった課題があるのか、課題に対して対策を練るかといった事を考えます。

この地域ではスケールの大きいプロジェクトになる事が多いため、プロセスや規模感の感覚が重要になってきます。
行政と住民はプロジェクト発足時に互いにギャップがありますので、その間に立ち、お互いの目線を合わせに行くことが重要な任務となります。
その目線合わせは、後々のトラブル防止や抑制につながり、ギャップを埋めることでそれぞれの自発性を促し、プロジェクトへ協力的になってくれます。

モノをつくるだけがコンサルタントではありません。住民を巻き込んでプロジェクトを促進する事も、モノづくりの一部であり、中立的な立場を計るというコンサルタントとして不可欠なスキルなのです。
当社にはそうしたスキルを持った多様な人財が揃っております。

自然に恵まれ、四季を通じて暮らしやすい温暖な双葉郡富岡町

ふたばが挑戦する共生と共創のまちづくり


ゼロからはじめるまちづくりは、険しい道です。
一方で、新たなチャレンジができる道でもあります。

現在、地域に必要とされることは「町の魅力」です。
地域資源に対し、「どう付加価値をつけ、魅力を高めるか」が重要であると捉えています。

大きくはこちらです。
①基幹産業の復興
②コミュニティの再生
③観光化

復興の最優先に生活インフラの整備が頭に浮かぶと思いますが、町の生活インフラが整ったとしても仕事がないと人は戻ってきてくれません。
富岡町では、震災以前は農業を中心に、豊かな資源を活かした生産性の高い農林漁業の振興をしてきました。
今後は持続可能で、成長性の高い基幹産業を再度どう根付かせるのが大事であり、その未来志向的な産業をどう作るかがカギになると考えています。

様々な事業が震災と同時に無くなり、産業が著しく低下しました。そして何よりも何百年かけてつくられてきたコミュニティそのものが壊れてしまいました。
基幹産業や生活インフラの復興も大切ですが、住民同士の結びつきを生み出し、安心して暮らせる場として、安全と安心を両立させたコミュニティをどう再生していくかが重要です。
現住民はもちろん、県外地域からどう呼び込むかの交流の場の発信が大切だと思っています。

呼び込む資源は被災地域というだけで豊富にあり、一つは特異な地域資源である福島第一原発です。
あれだけ世界を震撼させた施設ですので、見方を変えれば今後の観光資源になる可能性を秘めていると思っています。
チェルノブイリ原発では、原発事故から30年経過し、今では観光化され、コースやガイドもおり、ビジネスが成り立っています。そういった伝え方も取り入れていければと考えています。

観光や地域復興の一貫として、自ら「一般社団法人とみおかワインドメーヌ」という、ワインを核とした新たなまちづくりと、新しい農業への取り組みも行なっております。
富岡町の明るい未来を切り開く一つのカギとなるよう、コミュニティ再生、観光産業の育成や、福島全体の広域連携、富岡町の新たなブランド構築を目指しています。

ワイン作りは2016年から苗木の植え付けを開始し、毎年のように新たな品種のブドウの植え付けを実施しており、2021年には2回目の醸造に成功しました。
現在ではスマート農業の実証(IoT)や、福島大学農学部による測量実習の学びの場としても活用されております。さらにボランティアで来る住民の巻き込みなども間接的に影響し、得た学びは本業にも繋がっています。

ワイン用ブドウ畑の計画も想像以上にコンサルタントとしての経験を求められました。
コンサルタントはただ単にモノづくりする訳ではなく、利用、景観、環境など様々な視点から落とし込みます。この想像ができないと一歩踏み出せないため、将来の風景を想像し、こういった人を集めたい、こういった新たな流れができるというような構想が重要です。

ボランティアに参加する「ふたば」の社員も多く、活動を通じて人脈を作る場になっています。
ダボス会議の出席者や海外特派委員、留学生をはじめ、予想もしていない方々も来園いただけるため、ワイン用ブドウ作りも魅力に感じていただきつつ、畑で一緒に汗を流し、終了後にBBQを行うと地域再生に一体感や親近感も生まれました。
こういった取り組みや人脈を通じて講演やセミナーのきっかけとなり、様々な輪の拡がりを感じます。

富岡町に限らず福島の明るい未来を切り拓く一つのカギなる「とみおかワインドメーヌ」

〝はかる〟から出発した「ふたば」の事業は、〝つくる〟〝つなぐ〟へと大きく拡大してきました。そのフィールドも、いまや世界各地に拡がりつつあります。
これからは、その幅広い事業領域と、海外で培った経験・知見を重ねあわせ、地域が抱えている課題を明らかにし、その地域に眠っている資源などを活かした解決策を提案していきます。

人と人、夢と夢、地域と地域、さまざまなものを結ぶ懸け橋となり、多様な環境が育む地域の再生、さらなる発展に向けて、住民が主体的に関わる「まちづくり」をサポートしていきます。