2020.02.18 TUE 【シリーズ】豆腐職人はロジカルか?―複雑社会で結果を出す思考法― 第2回 職人思考でビジネスを考える
text by : | 金森二朗 Jiro KANAMORI |
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テクノロジーの進化の中で、技術分野はどんどん細分化、専門化し、社会はますます複雑なものになっています。この連載では、そんな現代の”複雑さ”を、アスタミューゼのシニアテクノロジストが独自の視点で読み解き、分かりやすく解説します。
第2回は、職人の思考方法とビジネスとの関係を考察し、技術で結果を出す方法について考えていきます。
研究から市場までにある”魔の川”、”死の谷”とは
どんなに素晴らしい技術も世に出すには多くの壁がある技術を生み出し、育て、世に送り出す流れをうまくやるための方法論のことを技術経営(MOT; Management of Technology)と呼びます。研究をやっていると、自分の成果が実用化されて世の中に役立つ体験をすることは一般的に考えられているほど多くはありません。しかし、時間もコストもかけた研究が売れる商品につながらないと、会社の利益だけでなく研究者の人生にも大きな痛手になってしまいます。スポーツの試合と同じように、技術もまた勝つべくして勝つことを目指す。これが技術経営の目的です。
研究段階から商品化して利益を上げていくまでには、たくさんの人や組織が関わります。考え方の違う人たちの間をリレーしていく間に、技術は多くの壁に阻まれることになります。せっかく生まれた研究成果も、産業の流れの中で頓挫したり、いつのまにかいなくなってしまったりします。これはなぜなのでしょうか。
技術→商品→市場と流れていくにつれて、考えなければならない要素が増えていきます。一方で、ひとひとつの要素もおろそかにはできません。こうした複雑さに対する捉え方について、第1回では科学者と職人の比較の中で説明させていただきました。簡単に言えば、要素を追究するのが科学者で、要素を統合するのが職人です。この二つの考え方が技術経営を考えるうえでも大きなヒントになる、ということについて今回お話ししたいと思います。
要素の「追究」か「統合」か。「研究」と「開発」の間にある“魔の川”をうまく渡るには
産業というのはそのステージごとに特徴があり、必要な考え方やアクションが異なります。産業の流れを“研究”、“開発”、“事業化”、“産業化”の4つのステージに分ける考え方は、技術経営論のひとつです∗¹。ここで、“研究”はシーズや要素技術と呼ばれるものを探索するステージ、“開発”はこれらをまとめたり組み合せたりしてニーズに合った製品に仕上げるステージ、“事業化”は実際に生産して販売するステージ、そして“産業化”は販売した製品が定着し継続的な利益を上げていくステージとされています。
事業がうまくいくためには、それぞれのステージごとの特徴を理解して適切な運営を行うことが重要です。産業ステージは時系列で流れていくので、気がついたら別のステージになっているかもしれません。ステージが変わってしまうと、これまで成功していたやり方、成功していた人や組織が通用しなくなるのです。特に失敗しやすいギャップとして、研究と開発の間の“魔の川”、開発と事業化の間の“死の谷”、事業化と産業化の間の“ダーウィンの海”などと呼ばれます。
技術を切り口に考える場合は、“研究”ステージと“開発”ステージが特に重要です。研究開発とひとくくりにされることが多いのですが、実はこの二つを分けて考えるということは重要なポイントです。要素を追究するのが“研究”で、要素を統合するのが“開発”にあたります。本シリーズ第1回において前者を科学者的な考え方、後者を職人的な考え方として違いを説明したように、この二つの考え方は真逆です。このような複雑さに対するアプローチの違いから、“研究”と“開発”の間は“魔の川”となってしまうのです。
統合が単純なモジュラー型と、統合が複雑なインテグラル型
別の技術経営論では、要素を統合するときの複雑さに着目しています。サプライチェーンにおいて、原料や部品が製品に組み立てられる際の複雑さから産業の特徴が説明されています∗²。
これによると、部品を組み立てて作る工業製品は一般に、モジュラー型(組み合わせ型)とインテグラル型(すり合わせ型)に分けられます。モジュラー型製品とは、部品と部品が単純な組み合わせによってできているタイプの製品のことです。これに対してインテグラル型とは、細かい部品を微妙に相互調整してすり合わせることが必要な製品です。部品の中でも、いろいろな部品が集まってできる中間的な部品をモジュールと呼びます。
例えば自動車は数万点もの部品を絶妙にすり合わせて作るインテグラル型製品です。適当に部品を購入して組み合わせただけではまともに動作しません。こうした製品は日本企業が得意としています。終身雇用制のため長く雇われている熟練工がチームワークを組んで仕事をできる環境が整っているからです。逆に中国などは安い労働力で単純作業の組み合わせであるモジュラー型製品は得意ですが、複雑なすり合わせを必要とするインテグラル型製品は苦手です。
産業構造は歴史とともに変化します。パソコンにおいてかつてIBMが巨人とまで言われるほど強かったのですが、90年代初頭に危機に陥りました。パソコンの場合はもともとインテグラル型の産業だったので、様々な知識を持つ技術者を多く抱えたIBMに強みがありました。しかし、CPUやメモリーなどのモジュールが発達して簡単に手に入るようになると、これを組み立てるだけで良いという産業構造の変化(モジュラー化)が起きたのです。自動車業界も電気自動車へのシフトによって同じようなことが起きると言われているので、日本の自動車メーカーは危機感を募らせています。
部品という要素の統合のやりかたが単純なのか、複雑なのか。これは、国や地域の産業構造にさえも影響を与えるくらいに重要なことなのです。
ケーキ工場と自動車工場の共通点
食品では部品と製品という分け方は普通しませんが、実際の工場を考えてみれば同じように扱うことができます。
例えばケーキ工場であれば、小麦と卵と牛乳と砂糖を加工してケーキを作っているわけではありません。小麦は製粉メーカーが小麦粉に加工して納入していますし、牛乳は乳業メーカーがバターや生クリームに加工しています。さらに、生クリームは日持ちが悪いため、植物油などを配合したホイップクリームが主に使われます。チョコレートは焙煎したカカオ豆を砂糖などと一緒に粉砕・混合して固めたものです。多くのケーキ工場ではスポンジ生地は作るとしても、クリームやチョコレートはメーカーから購入したものを塗るだけです。
ホイップクリーム、チョコレートなどの材料は、小麦粉、砂糖、油脂などの大もとの材料と区別して中間素材と呼ばれることもあります。これらの素材がケーキ工場において部品に相当し、この部品を組み立ててケーキが作られているわけです。
中間素材はモジュールに相当する部品です。ケーキ工場はこれらのモジュールを単純に組み立てて作るモジュラー型の工場と言えます。ただし、中間素材自体はたくさんの原料を複雑にすり合わせて作るインテグラル型です。サプライチェーン上の位置によっても変わってくるというところには注意が必要です。
食品産業もこのように、大規模産業と同じような部品、モジュール、製品に分けて、その組み合わせ方から産業構造を考えることができます。
複雑さの観点からビジネス上のギャップを見極める
研究→開発、および部品→製品というふたつの流れを紹介してきましたが、これらは要素の追究→統合という意味で同じようなものと捉えることができるでしょう。あらためて図にまとめると下のようになります。
要素の統合は、さらに統合の複雑さによってモジュラー型とインテグラル型に分かれます。モジュラー型の統合は技術的なポイントにはなりにくいので、インテグラル型の統合が行われる段階が最も注意を要する“魔の川”になります。
産業全体としてはモジュラー型産業でも、中間部品にあたるモジュール自体はインテグラル型ということもあります。その場合は部品とモジュールの間が“魔の川”に相当するでしょう。
ケーキ工場の例で言えば、クリームやチョコレートなどの中間素材や小麦粉から作るスポンジ生地などがモジュールに相当します。これらのモジュールは様々な原料や工程条件をすり合わせて作るインテグラル型の製品です。ケーキ工場自体は主にこれらのモジュールを組み立てるモジュラー型の生産ラインです。素材を科学者タイプ、中間素材は職人タイプの人が作るので、この間はギクシャクしやすくなります(魔の川)。中間素材とケーキはどちらも職人が作るので、この両者は似通った感覚で気持ちよく仕事ができます。
“死の谷”についてはあまりコメントしませんでしたが、部品メーカーはブランド構築など“死の谷”の橋を渡るための努力が必要なく、自分の技術だけで勝負できるメリットがあります(ケーキくんの上に乗っかっているクリームくんやチョコくんのように)。しかし、市場が醸成されていない新市場(例えば健康的なスイーツなど)ではもともと橋がないので、部品の良し悪しに関わらず利益は上がりません。自分の担当する部分だけでなく、“死の谷”や“魔の川”の向こう側にいる顧客やサプライヤーの状況や考え方を見極めて行動することが大切です。
違いに気づきロジカルにアプローチすることで、複雑社会でも結果を出せる
“死の谷”や“魔の川”がどこにあって、自分たちの立ち位置がどうなっているのか。産業によってはわかりにくくなっていることもあるでしょう。また、認知心理学的観点から見ても、思考回路が異なる世界の話は理解しがたいものです。ですが、要素の追究と統合という観点で考えてみれば、漠然とした違和感があったことに思い当たるかもしれません。ふたつの違いを意識して、いたずらに相手に合わせて同化するのではなく互いの長所を活かしながらかみ合わせることが大切です。ふたつの考え方の違いについては、本シリーズ第1回で詳しく説明していますし、ロジカルシンキングをきたえることでうまくかみ合わせられるようになっていくはずです。しかし、考え方が違っていることに気が付かなければ、直すことはできません。複数の技術経営論が指摘しているのは、そこがわかりにくいからなのです。
人類の開発したすべての技術が、途中で消えていくことなく、世の中の役に立っていくことを願ってやみません。
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